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読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。    (穴があくまで本を読む改題)

中村文則「掏摸」

中村文則 小説

中村文則「掏摸」(河出文庫

 

子供の頃にテレビで「黄金の指」という映画を観た。スリグループによる鮮やかな犯罪の手口とその内幕を描いた映画だった。おとりの人物がカモフラージュし、主人公が巧みに財布を抜き取ると、すかさず運び役に手渡す。万が一気付かれても、証拠が残らないようにするためだ。スリは数人でチームを組んで実行され、流れるような見事なチームワークを見せる。まるで自分が犯罪に関わっているかのようなスリルと興奮を味わえた作品で、後にもう一度観たくなりビデオやDVDをあちこち探したが、残念ながら見つからなかった。どうやらDVD化されていないようだ。

 

しかし中村文則の小説「掏摸」はそのときの興奮を私によみがえらせた。

スリを実行するときの描写はスリリングだ。防犯カメラの位置を把握する。周りの人間の視界を防ぐ。指先に集中し、呼吸を止め実行する。読者も主人公と同様、息をのんでしまう。その技術には犯罪でありながら、美を感じてしまう。

 

この小説の主人公はスリ師だ。彼は東京でスリをしていたが、あるとき闇社会に生きる木崎という男の強盗計画を手伝い、報酬として大金を受け取るが、東京から離れるように忠告される。一度は東京を離れるが、やがて戻り木崎と再会すると、不可能だと思われる三つの仕事を言い渡される。それは失敗すれば彼は殺され、逃げれば知人の女とその子供を殺すという過酷なものだ。彼の人生を支配しようとする木崎に抗いながらも、三つの仕事を実行しようとする主人公、そして母親に万引きをさせられる子供との交流が描かれる。

 

闇社会の男、木崎は「他人の人生を支配すること」を楽しむという狂気を感じさせる男だ。主人公は木崎に支配され、生殺与奪の権を握られてしまう。強調されるのは人間の「運命」。犯罪にも格差があり、闇社会の確固たるヒエラルキーが存在する。主人公ら身寄りのない人間は、殺されても身元が判明しづらく、いいように使われる。

 

孤独であるがゆえ殺され、誰かと繋がろうとすれば存在価値がなくなり殺される。これこそ逃れられない運命だ。しかし主人公は母親に万引きをさせられる子供と関わろうとする。子供もまた過酷な境遇で生きることを運命づけられている。子供をそこから救い出すことが主人公の自分「自分の運命」への抵抗だろう。運命に縛られた世界から逃れるには、誰かと繋がることで可能性を見出せる。もし誰とも繋がれないもっと過酷な状況ならば・・・。

 

小説の中に現れるのは「塔」だ。主人公が小さい頃遠くに見えていた「塔」。やがて成長し姿を消すが、再び現れる。「塔」とは神だろうか?「塔」は「人間の運命」よりさらに高い位置から見下ろしているようだ。ともかく主人公は「塔」に見られていた。そのような自分の存在が認められる「何か」があれば本当の意味での孤独ではない。不確かなものではあるがわずかな可能性は残される。

 

描かれるのは悪に支配された世界。しかしそれが現実の世界だとも言えるだろう。果たして世界に善は存在し得るのか?木崎は「お前がもし悪に染まりたいなら、絶対に善を忘れないことだ。」というが、逆のことも言えるだろう。善を知るには、悪を忘れてはならない。人間を知るためには悪を知らなければならない。木崎は悪を体現した男だ。それが本来の人間の姿だろうか。私には理解しがたいところがあるが、おそらく私が人間というものを表層しか理解していないのかもしれない。中村文則の小説は重い。重量級だ。読者に世界を理解しようとすること、この世界で生きていくことを強いてくる。

小説を読み、自分の中にあるものを読まなければならない。

 

ところで現実にこのようなスリ師は存在するのだろうか?小説や映画の中での話だろうと考えている人も、すでにスられており、気づいていないだけかもしれない。財布の中身だけを抜き取る「中抜き」という技もあるらしい。

 

掏摸 (河出文庫)

掏摸 (河出文庫)

 

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