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読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。 

又吉直樹「夜を乗り越える」

又吉直樹「夜を乗り越える」(小学館よしもと新書)

 

又吉直樹は現代の「救世主」ではないか?

そう考えてしまうのは、彼が「キリスト」に似ており、高校生のときにそう呼ばれていたからだけではない。私がそう思う理由は、彼が真剣に「新しい表現」によって世界を変えようとしていることにある。彼の言葉からは、新しい何かが起こりそうな予感を感じる。このままでは私は「又吉教」の信者になってしまいそうだ。

しかしそれは気持ち悪い。一度落ち着きたい。

 

 「夜を乗り越える」は又吉直樹氏が「なぜ本を読むのか?」というテーマで書いたものである。彼がどんな本を読んできたかや、文学が持つ力、その魅力について綴られている。彼の文学に向き合う姿勢は驚くほど誠実だ。そして深い。芸人がこれほど真面目に語っていいものかと不安にもなるが。

 

彼は本を読むことの魅力は、「共感」と「新しい感覚の発見」にあり、自身の葛藤や不安を消化できる、「救い」であったと語っている。私もその部分にはおおいに「共感」でき、本書は私がまだ知らない文学の世界へといざなってくれる。

 

しかし一つの疑問も浮かんだ。

それは「なぜ又吉直樹は本を読み続けるのか?」という疑問である。

 

注目したいのは、彼が芸人を志し、その活動をしながらも、なお本を読み続けていた点である。彼はそもそも小説家を目指していたのではなく、お笑い芸人の道を選んだのだ。もちろん単純に本を読むことが好きだったのであろうし、ネタをつくるヒントにもなったのだろう。しかしもう一つの大きな理由は、彼が文学に「救い」を求めていたことにありそうだ。

 

本は僕に必要なものでした。本当に必要なものでした。自分を不安にさせる、自分の中にある異常と思われる部分や、欠陥と思われる部分が小説として言語化されていることが嬉しかった。

 

当時僕が本に求めていたのは、自身の葛藤や、内面のどうしようもない感情をどう消化していくかということでした。近代文学は、こんなことを思っているのは俺だけだという気持ちを次々に砕いていってくれました。

 

又吉氏は文学には二つの魅力があると語っている。

一つが人間の持つ複雑な感情を言語化し共感させる力、もう一つが自分にはない新しい視点の発見。それらが又吉氏の「救い」になったのであろうが、言い換えれば、彼はその力を誰よりも知っていた、信じていたともいえるだろう。

しかし一方で、「小説に期待しすぎるのは嫌」だとも語っている。それは彼がお笑い芸人であることも関係しているのかもしれない。文学にとどまらず、お笑いでも新しい表現ができると信じていたからこそであろう。芸人としての彼のプライドか。

 

ともかく彼がお笑い芸人であることと、文学を深く読み込んでいたことは、彼が独自性を持った表現者であることにつながっているだろう。又吉直樹の独自性とは、その風貌や雰囲気からみられる、つかみどころのなさを持つとともに、彼が地に足のついた自分の世界観を持っていると思わせることである。

 

彼が芸人として、特に若手の頃に求められたのは、斬新なアイデアや意表を突くような視点を持つことだったと推測する。とにかく世に出るには目立たなければならない。いわば最先端の世界である。

しかし、そのとき彼は目先を追うのではなく、文学を読み、人間の根っこの部分を掘り下げていた。それが後になって結実したのではないか?文学から「本物」の表現を学び、周りに流されない自分だけの世界を作り上げたのかもしれない。

 

もう一つ又吉氏の文章を読んで感じるのは、野心や自己顕示欲をあまり感じないことだ。つまり、全然偉そうではない。

もちろん批判的精神もみられるが、丸ごと受け入れる寛容さも持ち合わせている。これも文学と関係するだろう。

彼は文学から得たものの一つが弱者の視点を持つこと、多様な世界を受け入れることであると、繰り返し述べている。これらはその表現に説得力を持つと同時に大きな共感を生むのには欠かせないであろう。

 

今、野心を感じないと書いたが、実は本書では大きな野心を表明している。それは上昇志向というようなものでなく、「新しい表現」への野心である。世界の価値観を変えるという遠大な挑戦だ。しかもそれに正面から立ち向かおうとしている。

 

僕は、今の時代にみんな共通して感じている気持にハッとするような表現が必要だと思っています。表現によって価値観を変容させることができないかと常に考えています。戦うことより、何かを実現させることのほうが僕にとっては大切です。

 

「世界の価値観を塗り替える」、彼はまさに現代の「救世主」になろうとしているのか。私は純粋に又吉直樹の「新しい表現」に正面から対峙する「逃げない」姿勢はすごいと思う。現代にこれほど潔い人がいることが驚きだ。そして、「人間とは何か」を探求し、弱者の視点を持つ彼の言葉は私には強く響く。

 

「火花」の芥川賞受賞はセンセーショナルだったが、そもそも彼はしっかりキャリアを積んでいる。お笑い芸人としての活躍はもちろんであるが、漫才やコントのネタ以外にも、芝居の脚本を書き、多数の連載を持つなど、その才能はすでに評価されていた。結局のところ結果を残す人というのは、こつこつ努力を積み重ねているのだ。

 

もはや又吉直樹と文学は切り離せないものかもしれない。しかし、文学が又吉直樹をつくったとは言い切れないだろう。文学が彼の中にあったものを引き出した、というのが正解だと思う。彼自身が積み上げてきたものの上に今彼は立っている。

「小説に期待しすぎるのは嫌」だと彼は言う。同様に「又吉直樹に期待しすぎてもいけない」だろう。又吉直樹も救世主ではないかもしれない。しかし救いはそれぞれの人間の中にあるものだ。そして、その力を引き出してくれる可能性を持つのが「文学」であり「又吉直樹」だ。

それは絶望の「夜を乗り越える」ための大きな力である。

 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

 

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