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読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。 

蓮池薫「拉致と決断」

蓮池薫「拉致と決断」(新潮文庫

 

北朝鮮による拉致被害者である蓮池薫氏の手記である。

5名の拉致被害者の方々が帰国したのが2002年。

知らなければならないこと、考えなければならないことが多く含まれているが、

それらは簡単に答えが出せるような、単純なものではない。

本書では蓮池氏本人が、北朝鮮工作員によって拉致されたときの状況や

24年間に及ぶ北朝鮮で生活、そして外からは知ることができない、

北朝鮮の内情を明らかにしている。

それは、もしも私が同じ立場だったなら、

などと簡単には想像できないほど過酷なものである。

 

蓮池氏の北朝鮮での生活は常に監視され、

自由が極めて制限された、いわば「軟禁状態」であった。

おそらく、そこには想像を絶する苦悩と葛藤があったであろうが、

とにかく、蓮池氏は、そこで生き抜き、生還した。

 そんな壮絶な経験をした蓮池氏の言葉は重い。

文章は淡々と語られているように見えるが、

やはり悔しさと憎しみがにじみ出ている。

 そんな思いと闘いながらも、自分と向き合い、

前を向いて生きる姿から、私は多くのことを学ぶことができる。

 

蓮池氏の生活について、次のことがわかる。

  • 「招待所」という、隔離された場所での生活であった
  • 結婚し子どもが生まれた
  • 「在日朝鮮人」と偽っていた
  • 徹底した思想教育が行われた
  • 翻訳の仕事に従事していた
  • 内外の情報は検閲後ではあるが、ある程度入っていた
  • もしアメリカとの戦争になれば、死や家族と生き別れになるだろうという恐怖があった

 

自由を奪われた北朝鮮での生活であったが、

ときには監視役である指導員と言い争い、 

また、入水禁止の渓谷の清流で海パンで泳ぎ捕まったり、

魚釣り禁止の養魚場で釣りをして職員らに囲まれるなど、

冷や冷やされられる場面もある。

これらから、蓮池氏は北朝鮮で生き抜いただけでなく、

さらに言えば、適応していた部分もあるともいえる。

これは蓮池氏の知性と強い精神力ゆえだろうが、

前提としてあるのは、

日本に帰国する可能性は皆無であると考えていたことと、

子どもの将来のためを第一に考えていたことである。

子どもたちが差別されないためには、

子どもたちにさえ日本人であることを、

隠さなければならなかったのである。

祖国を忘れることなど、できるはずもないであろうが、

その未練を断ち切って、前を向いて生きることを選んだのである。

 

また、蓮池氏に対して行われた思想教育も

大きな意味を持ったと思われる。

そこで唱えられる主な思想は、

社会主義思想」と「首領崇拝思想」の二つであるという。

蓮池氏は社会主義の理想に魅せられた時期もあったが、

実際には理想から遠のいている実態、

さまざまな矛盾から疑念を持つようになったという。

思想教育とは洗脳教育であるが、

蓮池氏は自分を拉致した北朝鮮という国がどのような国なのか、

正面から向き合い、冷静かつ客観的に見ていたことがわかる。

翻訳の仕事に従事し、国内外の情報がある程度入っていたこともあり、

北朝鮮とそれを取り巻く情況の分析は極めて鋭い。

 

もう一つ本書で重要なのは、北朝鮮の庶民の生活が描かれている点である。

そこには、困難な状況においても、たくましく生きる北朝鮮の人々の姿がある。

90年代から続く食糧難は相当に厳しいものであったようだが、

人々は知恵を絞り、必死で生きている。

農村や都市で暮らす人々の様子、90年代後半から見られるようになったという市場の様子からも、それがうかがえる。

不法行為も横行し、文字通りの生存競争である。

しかし、それに負けては、今日の食事にありつけないのだから誰もが必死である。

そういった北朝鮮の人々の生活から私が感じるのは、

逆境でも生き抜く人間の力強さである。

蓮池氏も、北朝鮮の市井の人々に寄り添った視点で書いていることがうかがえる。

また、北朝鮮は首領崇拝思想に染まった人ばかりではないこともわかる。

 

「私のまわりには人生経験が豊富で人当たりがやわらかく、人間の心理を巧みに読む人間が少なくなかった。」

北朝鮮にもこのように本音と建前を使い分けようとする人は少なくなかった。というより、私の周りには、組織への正直さより、組織との駆け引きのなかで保身的に暮らしている人のほうがはるかに多かった気がする。」

 

北朝鮮にも様々な人がいて、すべて一面的にとらえるのは間違いである。

 ただ、一方でこうも記されている。

 

「話せるのはあくまで心の表層部分であって、深層にある本音は間違っても漏らしてはならない。」

 

ともかく蓮池氏らを拉致し、国民を飢えに苦しませる北朝鮮という国家は許せないが、

そこで暮らす庶民には罪はないのである。

それは分けて考えなければならない。

 北朝鮮の矛盾とは、社会主義の理想の名のもとに、

しかし実際は独裁国家の体制維持のために、民衆は搾取、圧迫され、

都合の良い思想統制が行われていることであろう。

そして情報が管理され、国民は何が起こっているのか知ることができないことは、

非常に恐ろしいことである。

 しかし、北朝鮮の人々の暮らしを知れば、おのずと日本についても考えてしまう。

日本はそれほど自由で幸せな国なのか?

日本でも格差が広がり、貧困とその連鎖は大きな問題となっている。

毎年多数の自殺者も出る。

 政府も企業も、自らに都合の悪いことは隠し、

メディアも一面的な報道しかしない。

国民は賢くないほうが良いと思っているのではないかと、勘ぐってしまう。

両国の大きな違いが思想の自由、言論の自由が保障されていることだろうが、

近年それすらも揺らいでいるのではないか。

今私たちが当然のように享受している、自由や権利は、

もしかすると当たり前のものではないのかもしれない。

それを忘れたときには、日本の未来は危うくなるのではないか。

本書には北朝鮮という国を鏡として、今一度私たちの国について考えるためのヒントがあるのではないかと感じた。

 

しかし、拉致問題に関しては、いまだ北朝鮮に残された拉致被害者

それを待つ家族の方々がいることを忘れてはならない。

蓮池氏はこのようなことも記している。

 

「こと愛国心についていえば、私は拉致されてから、どうして日本という国が救いに来てくれないのかという思いもあって、むしろ薄らいでいたかもしれない。」

 

すべての日本人がこの言葉を重く受け止めなければならない。

蓮池氏と同様に、残された拉致被害者の方々にも、

おそらく外からは分からない複雑な事情があろうことは、

本書からも推測できるが、たとえどんな事情があろうが、

解決されなけれなならない。

 

 解決のためには、拉致問題への関心を高めなければならない。

 さらに、私たちができることは何か?

 拉致被害者や家族の方々の声に耳を傾け、すべての国民が各々に考える必要がある。

 

拉致と決断 (新潮文庫)

拉致と決断 (新潮文庫)

 

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