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読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。    (穴があくまで本を読む改題)

太宰治「畜犬談」

小説 太宰治
「畜犬談」太宰治

 

幼少の頃、近所の公園で段ボールに捨てられている犬を見つけた。小さく薄汚い犬だ。私はそのまま放っておくことができず、寂しそうに鳴く子犬を抱きかかえ、家に帰った。

しかし、父は子犬をみて私を厳しく叱った。

「我が家に犬を飼う余裕などない」

「犬は不潔である」

「もし、噛みつかれたらどうするのだ」

「お前に世話など出来ぬ」

普段から厳格だった父にはとても逆らえなかったが、自ら子犬の保護責任者を名乗り出た手前、私としても簡単に引き下がることはできなかった。夜通し泣き続け、次の飼い主が見つかるまで一時的にではあるが、庭先に繋いでおくことを許されたのである。

そして数週間後、父の予言通り、一瞬で興味を失った私の代わりに、父が子犬の世話をし、朝晩の散歩に連れて行ったのである。

あれから数十年。

実家を出て、一人暮らしをする私が久々に帰宅すると、我が家の犬(3代目)は大型犬にもかかわらず、土足で家にあがり、食事も人間と同じ皿を使って食べている。しかも来客があるにもかかわらず、座敷に同席し茶菓子をクンクンにおいでいるではないか。これはいけない。さすがの私も閉口した。

「あまりにも不潔ではないか」

「もし、お客様に噛みついたらどうするのだ」

強く抗議しようかと思ったが面倒だったのでやめた。

さらに、久しぶりの旅行を提案すると、犬がいるために旅行などできないと言う。しかも、この犬は車に酔うため、遠出はできない。30分おきに車を止めて、休憩を入れないといけないのだ。

「これでは、どちらが飼われているのかわからない」

 

太宰治、「畜犬談」。

似たような話である。

少し違うかもしれない。

 

 

太宰治といえば「人間失格」のイメージが非常に強いですが、私は作品によって様々な表情を見せる、多才な作家という印象を持っています。特に短編には気軽に読める作品も多く、その中でも特に好きな作品が「畜犬談」。犬の話です。犬が好きな人も、犬が嫌いな人も、犬なんてどうでもいいという人も楽しめる短編です。

 

犬嫌いで犬に怯える主人公が、成り行きで子犬を飼うことになり、なんとか共生しようと奮闘するが、やがて引っ越すことになり子犬を連れていくことはできない。はたして子犬の運命やいかに、といった話です。

 

この話の魅力は何といっても、文章、言葉の面白さでしょう。

主人公によると、犬とは、「獅子をも斃す白光鋭利の牙」と、「懶惰無頼の腐り果てたいやしい根性」を持つゆえに、人間に噛みつくような犬は「容赦な酷刑に処すべき」であり、主人公は犬に「青い焔が燃え上がるほどの、思いつめたる憎悪」を抱くのです。

誇張と皮肉をたっぷりと含んだ文章に、私はついニヤニヤし、また朗読したくなります。そして、豊かな表現は映像として、私の頭の中に映し出します。上質なコメディー喜劇、チャップリン三谷幸喜が描く世界を思い浮かべます。(太宰治を褒めるのに三谷幸喜を引き合いに出すのはおかしいですが)

また、主人公の犬への嫌悪の表現がオーバーなため、主人公の本心がどこにあるのか探るのも、この話の楽しみ方のひとつでしょう。本当に犬嫌いなのか、それとも本当は犬が好きで、その愛情の裏返しなのか?

終盤になり、飼い犬のポチに愛情が芽生えてきたようでもあるが、罵倒は収まらないのです。ですから、読者としては物語の着地点が予測しづらい。最後まで展開が読めないので、ハラハラさせられるのです。

しかし、最後に主人公から意外な言葉が発せられ、物語の印象は一変します。

 

「ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」

「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。」

 

 ここへきて、「芸術家」という言葉が初めて出てきます。私は誇張のすぎる文章から、フィクションの物語であると思い込んでいましたが、これは太宰治自身の言葉ととってよいでしょう。それまで犬嫌いの話一辺倒であったのにもかかわらず、「芸術家は弱者の味方である」というのは、いかにも違和感を持ちます。それならば、最初から「芸術家は弱者の味方である」ことを言いたいがために、犬の話を持ち出してきたと考えることも出来るでしょう。では犬は何を意味するのか、何かの比喩なのか?

主人公はこんなことも言っています。

「犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気がして、いよいよいやだ。」

犬は太宰本人を表わしているのかもしれない。もしくは人間社会かもしれない。そうすると、なぜ犬をそこまで罵倒する意味もわかってきます。人間の凶暴さ、醜さ、卑しさを犬に置き換えて批判し、その弱さも受け入れ表現する、それが芸術家としての太宰の役割であるということがが、彼がこの「畜犬談」で言いたかった事ではないでしょうか。

主人公が弱者の味方でなければならないといった後、彼の妻が「浮かぬ顔をしていた」という文が2度繰り返されます。これは、弱者の味方でなければならないが、その通りになっていない、彼の作家としての葛藤を示していると言えます。

 

「畜犬談」。コメディーとして気軽に読める作品である一方、犬を通して太宰の人間社会への見方、作家としての姿勢を読むことも出来る深い作品であるとも言えます。私のお気に入りの作品です。

 

きりぎりす (新潮文庫)

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