読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。 

「桜の樹の下には」梶井基次郎 桜と批判的思考

桜の樹の下には梶井基次郎

 

桜の樹の下には

このタイトルからどのような物語を想像するでしょうか。

日本の春を彩る桜の豪華絢爛な美しさ。

また、はかなく散行く様は一層その美しさを引き立てます。

そんな「桜の樹の下」で展開される物語でしょうか。

春は出会いと別れの季節であり、ほのかな甘酸っぱさも連想させます。

 

桜の樹の下には屍体が埋まっている!」

 

 冒頭の一文に、私は完全に虚を衝かれました。

 

「桜の樹」と「屍体」。

 

まるでかけ離れたように思える二つのものに戸惑うばかりです。

あるいは「屍体」という言葉に拒否反応を示し、本を閉じてしまう人もいるかもしれません。

 

さらには次々と繰り出される、鋭く力強い言葉にも私はたじろぎます。

それは、桜の咲く、穏やかでのどかな春の情景とは趣を異にします。

この話は三、四頁ほどの掌編ですが、最後までに息もつかせぬ疾走感を持った文章で、

語り手である「俺」がたった今、ひらめいたもの、

その一瞬を切り取ったような、みずみずしさに溢れています。

体の内側から沸き起こる塊が噴出した、詩のようであり、ラップのようでもあります。

 

では「俺」は何がひらめいたのか?

桜の樹の下には屍体が埋まっている」ことがわかったのです。さらに続けてこう言います。

 

「なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」

 

「桜の樹」と「屍体」について考える前に、「俺」が「桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられない」と言ったことに注目しなければなりません。

 

誰もが桜の花を見て美しいと感じます。

しかし、「なぜ」、桜の花が美しいのかという疑問を持つ人は少ないでしょう。

ところが、「俺」は桜の美しさが「信じられない」と言い、

「反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった」のです。

 

私もこの問を立てられて初めて気づきました。

桜は美しい。美し過ぎる。誰もが魅了される。

しかし、そこで一度立ち止まってもう少し考えてみます。

すると、そこまで華やかなものには、何か裏がある、何か訳がある、と想像する事も出来ます。

 

どんなものにでも二面性があり、光だけでなく、影の部分にも目を向けてみる。

そうすると、なぜ「桜の樹」と「屍体」が並べられているのかがわかってきます。

「光が強ければ影もまた濃い」とはゲーテの言葉ですが、「桜の樹」が美しければ美しいほど、その下には相反するものが眠っていなければ均衡が保てないのです。

そして、「俺」はそれが「屍体」だったと考えたのです。

 

なぜ「屍体」なのか?「俺」は桜の樹の下を透視します。

 

馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆がわき、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。

 

「桜の樹」は、その下に埋まっている「屍体」から栄養分を吸い上げることによって生き、その美しさを手にしている。

「生」は「死」の上に成り立っていると見たのでしょう。

それは食物連鎖の構造の一部でもありますが、これは自然界の話だけでなく、私たち人間社会にも当てはまります。

 

例えば、華やかな芸能界やスポーツ競技での勝者の栄光の影には、挫折した敗者たちの姿があります。または政治の世界や組織での権力闘争においては、人を踏み台にして、のし上がっていくこともあるでしょう。

そして、近年広がりつつある経済格差の問題も当てはまるでしょう。

持てるものと持たざる者、搾取する側とされる側。

どの世界でも勝者と敗者、強者と弱者に分けられてしまします。

 

そうであるならば、「俺」は、「桜の樹」から、その下に埋まる者たちを想像し、世の中の仕組みを読み取ったのではないか。

そして、「桜の樹」は勝者や権力を象徴しているといえます。

美しい「桜の樹」のその下には、搾取される敗者たちが埋まっており、それらから栄養を吸い上げることによって美しさを保っているのかもしれません。

 

桜の樹の下には屍体が埋まっている!」

初めはその意味が理解できませんでしたが今、ストンと腑に落ちてきました。

 

桜の樹を見て、素直に美しいと思う。

それも確かに大切な事でしょう。

 

しかし、「薔薇に棘あり」ということわざもあるように、そのように美しいものには必ずといっていいほど、恐るべきものがひそんでいるものだということは、昔から言い伝えられています。これらのことから、私に思い浮かんだのは

クリティカル・シンキング」(批判的思考)です。

 

美しい「桜の樹」を批判的に見る。

 

大事なことはもう少し先まで想像力を働かすことです。美しいものを見て、

なぜ美しいのかと考えてみる。

現代においては、あらゆる情報が氾濫しており、それらのうまい話に踊らされていては足元をすくわれかねません。

 

そうは言っても、お花見ぐらいはのんびりしたいものですが。

 

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

 

  

 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村


書評・レビュー ブログランキングへ