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読書百遍

これまでの「読んだ本の内容を覚えていない」という、悲しい読書からの脱却を目指し、「熟読」「再読」「アウトプット」の読書を目指しています。    (穴があくまで本を読む改題)

村上春樹「沈黙」を読んで 人間としての「深み」とは

村上春樹 小説
 「沈黙」(文春文庫) 村上春樹
レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

 

 

小説の読書感想文に挑戦しました。

繰り返し読んでいる、村上春樹の短編集「レキシントンの幽霊」の中から「沈黙」です。なにしろ何十年ぶりの読書感想文、自分の考えがあちらに行ったり、こちらに行ったり。書き始める前は、「何を書いたらいいかわからない」状態になることを予想していましたが、書き始めると、意外にも書きたいことがありすぎて、まとめるのに苦心しました。この点はプラスにとらえて次に生かしたいと思います。

 

20年近くボクシングを続けているという物静かな男、大沢が「かつて一度だけ人を殴ったことがある」と中学生の頃の出来事について語り始めます。

大沢は一人でいることを好む早熟な少年。そして同級生には、頭がきれ、クラスでも一目置かれる存在の青木という男がいた。しかし大沢には、彼の要領のよさと、計算高さが鼻について我慢できない。一方、青木も同じような感情を、大沢に対して持っているようであった。ある日、あることがきっかけで大沢は青木を殴ってしまう。そして、青木の復讐が始まり、他の生徒や教師からも無視されるようになり、やがて大沢は精神的に極限まで追い詰められていく。

 

語り手である大沢という少年は「深み」という言葉を何度も口にします。「大事なことは深みを理解すること」だと言います。私はこの「深み」ということをキーワードにして考えてみたいと思います。彼の言う「深み」とは何か?彼が嫌いな男である青木についてこんなセリフを言う場面があります。

 

「この男には本物の喜びや本物の誇りというようなものは永遠に理解できないだろうと思いました。体の奥底から湧き上がってくるようなあの静かな震えを、この男はきっと死ぬまで感じることはないのだろう」

 

彼の言う「深み」とは物事の本質を理解すること、理解しようとすることと言えるでしょう。彼は自分は物事の本質を理解し、周りの人間は理解できないと考えているのです。しかし問題は、その「深み」は彼に何をもたらすのかです。彼は青木と対立し、やがてクラスメイトからも無視され、孤立します。これは集団でのいじめともいえるでしょう。なぜ「深み」を理解する大沢が、そのような窮地に立たされなければならないのか?

 

私はその原因は大沢の自意識にあると考えます。大沢は頭の回転の早い青木を徹底的に憎みます。大沢は青木について「浅薄にすぎ」、「この男には自分っていうものがない」と批判する一方、自分は「僕自身の世界というものを持って」おり、「クラスの中で僕くらいたくさん本を読んでいた人間は他にいなかった」と言う。

大沢はボクシングに打ち込む中で、あるいは沢山の本を読むうちにその「深み」の存在を理解しますが、彼には青木は表面的で「深み」がないと映ります。そして、「深み」を理解する自分と、そうでない青木や他の同級生たちとは違うと強く意識するようになります。つまり、「深み」とは、知れば知るほど他者との壁を作り、「自意識の高さ」を生み出します。この小説で注目すべき点は、大沢が孤立していく過程において、大沢に味方する者は誰もおらず、また大沢からも救いを求めていない点です。彼ほど聡明であったなら手の打ちようはいくらでもあったのにかかわらず。これは大沢が壁を作り、また周りの人間もそれを感じていた証でしょう。

 

このような事は私自身も常に起こり得ることです。何かに懸命に取り組み、それが結果につながったのならば自信になりますが、その自信は自意識を高めることになり、他人との溝を作る要因となります。しかし、自意識は決して悪いものではなく、人間が成長していくにつれ当然自意識は高くなっていきます。大切なのは自分を成長させつつ、周りの人間もとも協調していこうとする姿勢です。社会生活を送るためには協調性というものは欠かせませんが、一方で常に競争があるという側面も持つために、そのバランスを取ることは容易ではありません。自信は傲慢さや人を見下すことにつながり、劣等感は嫉妬や妬みを生み出します。また、そういった負の感情はなかなか自分で制御できないものです。そんな時、その原因は相手にあると考えがちですが、実はその感情は往々にして自分の中から生まれていると感じます。しかし、その原因はもともと自分が得た「自信」から作りだされているのならば皮肉なものです。

 

ここでもう一度大沢の言う「深さ」について考えてみます。「深い」という言葉は通常「あの人の話は深い」とか、「思慮深い」などと、いい意味で使われます。しかし「深さ」を理解した大沢は孤立し追い詰められるのです。このときの「深さ」というのは垂直に掘り進んでいく、専門性を追求するような印象を持ちます。排他的なニュアンスもふくんでいるでしょう。また、それとは別に「懐が深い」という表現もあります。これは奥行きがある、空間的に広いというイメージです。包容力があるという意味もあります。協調性を持つためには後者の「懐の深さ」、言い換えれば「広さ」を持つことが欠かせないのではないでしょうか。自分を成長させるためには「深さ」を追求することは大切な事でしょう。しかしその結果、他者を排除しようとする方向に向かうのであれば、それは貧しい。

また「器の大きい人」という言い方もします。こちらも空間的な広がりを持つ言葉です。

「深さ」を追求しつつ、「広さ」を持つ。自分と向き合い掘り下げることも必要ですが、時には他人を受け入れ、ゆずることも出来る人こそが「器の大きい人」といえるでしょう。

 

人生をどう生きるべきか、豊かな人生とは何か?

そう考えたときに、協調性というのは欠かせません。自分がどうであれ、一人では生きていけないのですから、周りと共存していかなければなりません。それは時に困難を伴います。自分自身と向き合い、成長していくにしたがって周りとの壁は高くなっていくのです。しかし、そんな壁にぶち当たったときに、私が取るべき態度は「沈黙」ではなく、「理解を求めようと語ること」、そして「行動する」ことではないか。それが「深み」を理解すること、人間としての「広がり」を持つことにつながるのではないでしょうか。

 

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